【鬼滅の刃】鬼のモデルは“蔑まれた人”!? 東北の蝦夷など“まつろわぬ民”の存在

【鬼滅の刃】鬼のモデルは“蔑まれた人”!? 東北の蝦夷など“まつろわぬ民”の存在

大ヒット中のマンガ『鬼滅の刃』(『週刊少年ジャンプ』/集英社)。主人公が闘う“鬼”は、さまざまな古典からヒントを得ながらキャラクター設定を行ったと考えられる。また、その昔、日本には“鬼”と呼ばれた人々が存在したという。一体どういう人たちだったのか、詳しく見ていこう。

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怪物として描かれたまつろわぬ民

鬼には、神道系の鬼や仏教系の鬼など、さまざまなカテゴリーの鬼が存在するが、『鬼滅の刃』に描かれる鬼にもっとも近いのが、鬼とされた人間=「まつろわぬ民」である。まつろわぬ民というのは、神話の時代、あるいは古代に天皇の支配に服従しなかったとされる人々のことだ。「まつろう」とは、「服う」あるいは「順う」と書き、服従すること、恭順することをいう。
『古事記』や『日本書紀』には、初代天皇である神武(じんむ)天皇が九州の日向(現在の宮崎県)を出発して旅を続け、最終的に大和(現在の奈良県)の橿原(かしはら)に都を建てる「神武東征」の物語が描かれているが、そこに登場する天皇の一団と出会う各地の土着の勢力は、土蜘蛛という見下した名で呼ばれたり、尻尾が生えた異形の姿で表されたりしている。神武天皇の最大の強敵となるのはナガスネヒコという大和の土豪だが、その名前もスネ(足)が長いという異形を強調したものだとされる。
『日本書紀』では、景行天皇が皇子のヤマトタケルに「山に邪(あや)しき神あり、郊に姦(かしま)しき鬼あり」としてこれらの討伐を命じる場面があるが、神武東征と同様に、天皇側は自らに従わない先住の民を悪しき神、騒々しい鬼と表現したのである。現代風にいうならば、敵への「レッテル貼り」である。
こうした描き方は神話から歴史の時代に入っても変わらずに継承されている。平安時代、朝廷軍の矛先は東北、蝦夷の民に向けられてゆく。坂上田村麻呂が清水寺を建立し、蝦夷を討伐する物語を絵巻にした『清水寺縁起絵巻』では、馬に乗り立派な鎧をまとった朝廷軍に対して、蝦夷はざんばら髪に粗末な衣のまさに鬼のような姿に描かれている。天皇に背く者、朝廷に従わない者、そうした体制になびくことをよしとしない勢力が、権力者によって「鬼」とされ、恐れるべき者とされていったのだ。

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なぜ東北の民は鬼とされたのか

陰陽道では、丑寅つまり東北の方角を「鬼門」と呼ぶ。鬼門とは文字通り鬼(古代中国で死者の魂のこと)の出入りする門で、「鬼」に恐るべき怪物の意味が加えられた日本では何事をも避けるべき大凶の方角と考えられるようになった。
山城国に都をおいた朝廷にとっては、東北地方がまさに鬼門の方角にあたり、現実問題としても東北には朝廷が従えることのできない民・蝦夷の大集団がいた。ひとくちに蝦夷といっても、彼らがひとつの氏族として蝦夷国をつくり、蝦夷政権を建てて朝廷に対抗していたというわけではない。朝廷から見て北東に暮らし、従わない勢力はすべて蝦夷として捉えられていたのだ。畿内を拠点とし、九州から本州の大部分を押さえた朝廷にとって、東北地方は最後のかつ最大の懸念材料となった。桓武天皇の延暦年間(782〜806)だけでも繰り返し蝦夷討伐のための遠征軍が組まれ、大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)ら歴戦の将軍が続々と投入されている。
朝廷がここまで蝦夷討伐に力を割いたのは、東北地方が金などの鉱物資源を産出する豊かな地でもあったからだ。延暦21年(802)、蝦夷の長・阿弖流爲(あてるい)らの降伏によって朝廷の大規模遠征は完了、一応の目的は果たされたのだが、その後も東北地方は京からは容易に支配できない土地であり続けた。中尊寺金色堂を建立した奥州藤原氏が4代にわたって東北地方に半独立王国を築いたのは、田村麻呂の時代から300年ほど後のことだ。東北地方はまつろわぬ気質を潜在させた、朝廷にとって長きにわたって恐るべき「鬼の国」だったのである。

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鬼と同一視された抵抗勢力「土蜘蛛」

東北のまつろわぬ民が蝦夷と総称されたように、南九州には熊襲(くまそ)、隼人(はやと)と呼ばれたまつろわぬ民がいた。蝦夷、熊襲という東西ふたつの氏族がまつろわぬ民の最大勢力として、ヤマトタケルの東征、西征の伝説などにつながっていくのだが、もちろんこれ以外の地域にもヤマトの王権に従わない人々がいたことは想像に難くない。
そうした各地のまつろわぬ民は、土蜘蛛と呼ばれることが多かった。「土にこもる」が語源とされるこの呼称は、先進的な家を建て、都市をつくって生活する文化的な公家たちに対して、洞窟などに穴居する野蛮な集団という意味を含んでいる。『古事記』『日本書紀』に登場する土蜘蛛的な存在の代表は大和の豪族ナガスネヒコだが、古代の国々の歴史、地理風土をまとめた『風土記』には、実に多くの土蜘蛛たちの名前が記されている。
『常陸国風土記』には茨城に八束脛(やつかはぎ)という土蜘蛛がいたとの記述があるが、この名はハギ(すね)が八束(約64センチ)もあるほど長いという意味で、ナガスネヒコにも通じる意味をもっている。鬼の語源は「おおひと」だという説もあるが、茨城には巨人ダイダラボッチの伝説もあり、手足の長さを強調される土蜘蛛と興味深い共通点があるともいえる。

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社会秩序からはみ出て悪事を行う「元人間」たち

芥川龍之介の小説『羅生門』の主人公である下人は、羅生門の下で死人から髪の毛を抜き取る老婆をみて義憤にかられるが、最後は自らが老婆の着物を奪い取る追い剝ぎと化して姿を消している。この小説は『今昔物語集』の「羅城門の上層に登りて死人を見たる盗人の語」をベースにつくられたものだが、平安時代も後期になると朝廷の力も衰微し、本来は平安京への入り口となる正門、羅城門(羅生門)でさえも死体が転がり、盗賊が出没する危険地帯になっていた。こうした状況で、ついには羅城門には鬼が住み着いているとさえいわれるようになるのだが、『羅生門』の下人のモデルは、自ら制度から抜け出し、強盗や盗賊、つまり鬼の道を選んだ者であったのかもしれない。
鬼たちは人の多い都を主な「仕事場」としながら、その拠点は平地から隔絶された山の中に置いたとされる例が多い。平安京をおののかせた盗賊・袴垂保輔(はかまだれやすすけ)は、もと藤原一族に生まれた下級の公家だったが、悪事を重ねた挙句ついには都を追放され、配下を集めて逢坂山を根城にした盗賊団の首領となっている。鈴鹿御前、大嶽丸という鬼が棲んだ鈴鹿山、酒呑童子の大江山、そして袴垂の逢坂山はいずれも京の辺縁といえるほどの距離にある山であり、逢坂山、鈴鹿山はそれぞれ関所が置かれた交通の要衝、境界の地でもあった。
盗賊としての鬼たちは京都の辺縁を拠点とした。そこが朝廷という中心、体制にまつろわぬ鬼たちの生きる場所となったのである。

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監修者/小和田哲男

【Profile】
(おわだ・てつお)
1944年、静岡県生まれ。1972年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。2009年3月、静岡大学を定年退職。静岡大学名誉教授。研究分野は、日本中世史。著書に『お江と戦国武将の妻たち』(角川ソフィア文庫)、『呪術と占星の戦国史』(新潮選書)、『黒田如水』『明智光秀・秀満』(ともにミネルヴァ書房)、『名軍師ありて、名将あり』(NHK出版)、『黒田官兵衛 智謀の戦国軍師』(平凡社新書)、『家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで』(NHK出版新書)、『戦国武将の叡智』(中公新書)などがある。

 

(参考)

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Web編集/宝島社書籍局第1編集部、FASHION BOX

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