沢村一樹インタビュー|幼少期から現在までのターニングポイントを語る

沢村一樹「初の下ネタは“清水の舞台から”だった」幼少期から俳優として活躍するまで|インタビュー

レンズを向けた瞬間、その場にいた誰もが彼に魅了された。モデルとしてデビューし、その後、俳優に転身。今年に入り、バラエティ番組にレギュラー出演するなど、ますます活躍の場を広げている人気俳優・沢村一樹。年齢を重ねるごとに輝きが増す彼のこれまでの人生、そしてこれからについてお話をうかがった。

≪目次≫
●小学校の卒業文集には「大スターになる」(沢村一樹)
●25歳のときに憧れの雑誌の表紙モデルに(沢村一樹)
●バラエティ番組への出演が大きな転機に(沢村一樹)
●尊敬する役者の先輩のあとを追いかけて(沢村一樹)
●PROFILE

小学校の卒業文集には「大スターになる」(沢村一樹)

――沢村さんは、会社員の父と専業主婦の母の間に、4歳下の妹のいる長男として鹿児島県鹿児島市に生まれた。幼少期は決して裕福な暮らしではなく、家族4人で6畳と4畳半2間、風呂なし、汲み取り式のトイレという古いアパートに住んでいた。家庭は父親不在で、のちに両親は離婚。あとには父が作った多額の借金だけが残ったという。

小さい頃から映画を観るのが大好きで、小学校の頃はロードショーなんかをテレビで観ていました。僕も将来は映画の仕事をしたいと思って、小学校の卒業文集に「大スターになって女の子にモテモテのところを(担任の)先生に見せつけること」って書いたぐらいです。僕が芸能界を志すようになったのも、僕が普通に会社に勤めていたら家族を養えないと子供心にも思っていたのと、おふくろも芸能界に憧れていたみたいで、その思いを僕に託すようなことを言われていたという影響もあると思います。

沢村一樹インタビュー|幼少期から現在までのターニングポイントを語る

衣装協力/ジャケット、シャツ、パンツ/すべてエトロ〈エトロ ジャパン〉

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25歳のときに憧れの雑誌の表紙モデルに(沢村一樹)

――高校卒業後、同級生が進学や就職するなか、沢村さんは地元でアルバイトをし、20歳で18万円を手に上京して俳優を目指す。21歳のときに、バイト先のライブハウスの客の紹介でモデル事務所に入る。その後、25歳で雑誌『MEN’S CLUB』専属モデルとなり、1年間表紙モデルを担当し、注目を集め始める。

上京後、バイト先のライブハウスでバイトリーダーをしていたときにお客さんにモデルとしてスカウトされた。でも、モデルだけじゃ全然食べていけなくて結局4年半ぐらいそこでバイトしていたんですが、「俺はこんなことをするために東京に来たんじゃない」と。そしたら、24歳のときに別のモデル事務所に声をかけてもらったんです。いきなり「明日『MEN’S CLUB』だから」と言われたときは驚きましたね。表紙自体の収入は数万円ですが、その仕事をやっていると他の仕事のオーディションで受かるんです。だから、収入は前の年の10倍、20倍と跳ね上がりました。

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バラエティ番組への出演が大きな転機に(沢村一樹)

――その後、現在の事務所から声をかけられ、29歳のときに日本テレビ系“しんドラ”『松田のドラマ』で俳優デビュー。同年、同局の『続・星の金貨』にも出演するも、モデル時代に比べ、収入は5分の1に。しかし、スタートは前途洋々で、実際、仕事も順調だった。さらに、32歳で元モデルで5歳下の女性と結婚するなど私生活も充実していた。が、40歳を前にオファーされるのは二枚目ばかりだったことに危機感を覚えた沢村さんはバラエティで下ネタを初披露。これが予想以上の反響を呼び、NHKのコント番組『サラリーマンNEO』で「セクスィー部長」に扮し、視聴者の心を掴む。

いちばんの転機は結婚です。そこから仕事に対する意識が変わってきましたから。というのも、僕とも古い付き合いで奥さんも仲のいいモデル友達に「仕事をこなしているように見える」と言われたんです。友人からずっと「おまえの素が出てない」とも言われていました。でも、役柄で素を出すのは難しいじゃないですか。それで、バラエティの仕事が来たときに、「一度普段通りの自分で好きなようにやってみよう。それで受けなければもうこの業界は向いてないんだから潔く辞めよう」と思い、『ブーケをねらえ!』という番組の中の「結婚偏差値」というコーナーのゲストで出たんです。僕だと明かさずに、100人の女の子たちからの恋愛や結婚に関して質問に答え、彼女たちが持ち点1点の100点満点で点数を僕につけるんですね。そのとき、「隣の部屋に100人の女性がいますけど、今のお気持ちはいかがですか?」と聞かれ、「100人ってことはにひゃっ(オッ)パイですね」と言ったら、受けたんですよ。僕は本当に清水の舞台から飛び降りる気持ちでその一言を放ったんだけど、あ、世間って意外と優しいなって。これがセーフなら、今度はこれでどうだ、というふうに自分の下ネタを磨いていった(笑)。ここで僕の下ネタが受け入れられたのは大きな転機でしたね。

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尊敬する役者の先輩のあとを追いかけて(沢村一樹)

――『浅見光彦』『DOCTORS〜最強の名医〜』『絶対零度』などシリーズ物の主演のほか、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』でヒロインの父親役など幅広い活躍ぶりの沢村さん。俳優業以外のバラエティ番組が2本スタートするなど新たな一面も見せている。

僕は本当に人には恵まれていて、役者を始めた頃に内藤剛志さんとガッツリ仕事ができて内藤さんが目標になったんですね。一回り年上なんですが、役者としてはもちろん、すごくきれいな年の取り方をしていてとても尊敬しています。この間ご一緒した柄本明さんもそうですが、いろんな先輩を見てきているので、その方たちのすごさがわかるというのは僕の強みだな、と。

2020年は、バラエティのレギュラーも2本やっていますから、正直すごく大変です。でも、占いの番組をやっていて思うのは、転機ってピンチのときに訪れるってこと。今は新型コロナウイルスで、ドラマの現場での撮影の仕方も多分変わってくるだろうけど、僕にとってはもしかしたら今年がいちばんのターニングポイントになるかもしれないと思っているんです。まだまだみんな大変ですけど、だからこそ2020年というこんな覚えやすい年を絶対に後悔の年にはしたくないし、みんなで助け合っていきたいですね。

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PROFILE

沢村一樹(さわむら・いっき)

1967年、鹿児島県出身。ABCテレビ・テレビ朝日『これって私だけ?』(毎週火曜日20:00~)ではMCを務め、フジテレビ『突然ですが占ってもいいですか?』(毎週水曜日22:00~)にもレギュラー出演中。8月スタートの連続ドラマ、テレビ朝日『未解決の女 警視庁文書捜査官』Season2(毎週木曜日21:00~)にも出演。

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取材・文/大西展子
撮影/木村直軌
スタイリング/鬼塚美代子(アンジュ)
ヘア&メイク/INOMATA(&'s management)
MonoMaster 2020年9月号
WEB編集/FASHION BOX
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