(2020年2月13日 更新)
同僚との雑談中に、とっておきのウンチクを披露。ちょっぴり鼻高々な気持ちでいたものの、相手からは「それって、正しくはこういうことじゃない?」と冷静なツッコミが。
このように思い込みや勘違いを指摘されて、恥ずかしい思いをしたことが誰でも一度はあるはず。
そこで今回は、常識だと思っていたけれど、実はウソだった、意外な雑学をまとめてご紹介しよう!
《目次》
- 【科学にまつわる雑学】偉い学者の学説も今や大ウソ
- 【健康にまつわる雑学】健康・人体に関する常識のウソ
- 【世界史にまつわる雑学】歴史に関するウソ・ホント
- 【迷信にまつわる雑学】まゆつばだらけの迷信のウソ
- 【しきたりにまつわる雑学】しきたり・伝統・ジンクスの常識も実は大ウソ
- 【ドラマ・映画・マンガにまつわる雑学】ドラマ・映画・マンガもウソばかり
- 【統計にまつわる雑学】グラフに隠された統計のウソ
- 【環境問題にまつわる雑学】環境問題はウソだらけ
- “実はウソだった!” 雑学の記事まとめ
【科学にまつわる雑学】偉い学者の学説も今や大ウソ
〈科学のウソ〉
IQが高くても頭がよいとは限らない
そもそも「頭がよい」とはどういうことなのか
衝撃的な事実であるが、知能を計測するためのIQテストで高得点を取ることがそのまま「頭がよい」ということにはならないのである。
そもそも「知能」とは何かということはわかっていない。IQテストの創始者でフランスの心理学者、アルフレッド・ビネーの定義によると、知能とは「判断力・理解力・批判力・方向づけ・工夫する力」などの総合力ということになっているが、この説にも様々な反論があり、現代に至っても「知能」に対する明確な定義づけはされていない。また、もともとIQテストはこれから教育を受ける子供たちが勉強についていけるかどうかを測るためにつくられたものであるため、少年少女の知能指数を判定するのには役立つが、成人の知能指数を測るにはあまり向かないとする説もある。
従って、IQテストでは「環境への適応力、基本的な精神能力、推理力、問題解決力、決断力」などが計測できるだけで、それと「知能」との関係が証明できない以上、IQテストの結果が「頭のよさ」に直結すると結論づけることはできない。
「頭がよい」という言葉には非常に多くの意味がある。「計算が速い」「要領がよい」「記憶力が優れている」など、様々な場面で曖昧な印象のもと、語られることの多い言葉である。「勉強ができるから頭がよいとは限らない」という言葉もよく耳にするが、これも同様の意味である。学校の勉強はからっきしであったが、要領よく仕事をこなす人や、頭の回転が速く弁が立つ人はいくらでもいることを考えると、IQが高い=「頭がよい」とするのは早計に過ぎないだろう。
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【健康にまつわる雑学】健康・人体に関する常識のウソ
〈健康のウソ〉
暗い部屋で本を読んでも目は悪くならない
近視の原因は日光不足?
育ちざかりの子供を持つ親世代は、子供の頃に親から「目が悪くなるから、暗いところで本を読んではいけない」と口を酸っぱくしていわれた経験があるに違いない。ところが最近、この常識までもが覆されようとしている。
2011年、イギリスで2500人近い健康データを分析した研究結果が発表された。それによると、暗い場所で目を使う作業と近視の発症率は、何の関係もなかったというのだ。
では、暗い場所での読書が関係ないとすると、近視の原因は何なのか。
2012年にケンブリッジ大学が行った調査では、幼少期から10代後半にかけて外でよく遊んだ人ほど、視力低下の可能性は低く、日光を浴びる時間が週に1時間増えるごとに、近視の発症率が2%ずつ下がるという結果が報告された。つまり、「子供の頃の外出時間」が原因だというのだ。日光と視力の関係はまだ不明な点が多いが、一部には日光を浴びることで脳内ホルモンの一種「ドーパミン」が増え、これが目の成長を促進するとの説がある。
結論としては、「本を読む、読まない」にかかわらず、家にこもっていると目が悪くなるということ。やはり子供は、元気よく外で遊ぶのが一番なのだ。
【世界史にまつわる雑学】歴史に関するウソ・ホント
〈世界史のウソ〉
新大陸を発見したのはコロンブスではない
北欧のヴァイキングが先に見つけた
15世紀、ポルトガルの海洋進出を機に、ヨーロッパ各国がアジアへ進出する大航海時代が始まる。この時イタリアの都市国家ジェノバの出身(諸説あり)とされるクリストファー・コロンブスはスペイン王国の支援のもと、大西洋を西へ横断してアジアへ到達する航海に出た。目指すは13世紀末にマルコ・ポーロが『東方見聞録』で記した「黄金の国ジパング」だ。
2ヶ月あまりの航海の末、船隊は陸地に到達する。コロンブスは「アジアに到達した」と信じ込んだが、たどり着いたのは南北アメリカ大陸だった。この大陸はヨーロッパの人々から「新大陸」と呼ばれ、彼らは続々とこの大陸へと進出していった。こうした経緯で、「新大陸に最初に到達したヨーロッパ人はコロンブス」との考えが常識化したが、近年の調査により、この常識は覆った。コロンブスの500年前、北アメリカ大陸に到達していたヨーロッパ人がいたのだ。
それは北ヨーロッパの「ヴァイキング」と呼ばれる人々だ。時に海賊行為も働く武装交易商人であった彼らは、アイスランドやグリーンランドに植民をした後、更なる植民地を求めて進出し、11世紀の初め頃にレイフ・エリクソンが北アメリカ大陸に上陸した。
最初の上陸地はカナダの東南地方、現在のラブラドル海岸あたりと考えられている。エリクソンは一冬を過ごした後、グリーンランドに帰った。その後、グリーンランドのヴァイキングたちは、北アメリカに進出して植民を進めた。植民地は先住民族との抗争の激化により放棄されるも、1960年に北アメリカのニューファンドランド島で彼らの居住地跡が発見され、「コロンブスが初めて新大陸に到達した」との説は覆った。
【迷信にまつわる雑学】まゆつばだらけの迷信のウソ
〈迷信のウソ〉
「北枕は縁起が悪い」はウソ
お釈迦様と同じことが縁起の悪いことに
「北枕で寝るとよくないことが起こる」「北枕で寝るのは縁起が悪い」。この言葉を聞いたことがない日本人はいないのではないだろうか。
この俗説の由来も多くの人が知っているはずだ。お釈迦様が亡くなった時に「頭を北に顔を西に向け、右脇を下にしていた」ことにより、人が亡くなると仏教では北を枕(頭)にする習わしとなり、そのことから死者と同じ北枕で寝ることは縁起が悪いといわれるようになったのだ。だがここでもう一度考えてみていただきたい。お釈迦様が亡くなった理由が北枕だったわけでもないのに北枕が不吉なものだとすることに何のロジックもない。もちろん科学的、医学的な根拠など全くない。
ただそういうイメージだけでというなら、お釈迦様も迷惑な話である。更にはお釈迦様と一緒だと縁起が悪いというのなら、不遜ですらあるのではなかろうか。
またこれは仮説の域を出ないものだが、地球の磁場は北のN極から南のS極に流れており、北を枕に寝た方が磁気の流れにそってよいともいわれており、インドの伝承医学アーユルヴェーダでも中国の風水でも北枕で寝ることを推奨しているようだ。
ちなみに、日本の神道では神棚は南向きが最もよいとされる。そのため北枕で寝れば南が足となり、神棚に足を向けなくて済むこととなる。
【しきたりにまつわる雑学】しきたり・伝統・ジンクスの常識も実は大ウソ
〈しきたりのウソ〉
ご祝儀を奇数にするのは「割り切れない数だから」ではない
なぜご祝儀は奇数が当たり前になったのか
結婚式や披露宴に招待された時、ご祝儀の額で悩む人が多いのではないだろうか。
世間的には会社の同僚や友人には3万円が相場だといわれている。
1万円札を3枚にすれば奇数となるため「割り切ることができない」、「お二人がいつまでも別れないように」という意味が込められていると思っている人が多い。
しかし、奇数が縁起がよいとされるようになったのには、実は全く違った理由がある。それは、古代に日本に伝わった中国の思想「陰陽」に端を発する。
奇数は陽、偶数は陰に配され、ここから陽である奇数を「吉」と見て、陰の偶数を避ける習慣が生まれたのだ。
陰(偶数)よりも陽(奇数)が結婚式などのおめでたい席に似つかわしいのは、イメージ的にも納得がいく。
日本では昔からそう考えられてきたようで、宴会や一大イベントなどの手締めは「三本締め」や「一本締め」、子供の成長を祝うのは「七五三」など、現在でも生活に根ざした様々な場面で奇数が登場している。
また、名所などを「三大○○」という言い方でくくったりするのも、陽である奇数が尊ばれてきたからだ。
本来、結婚式のご祝儀の額は奇数でも偶数でもどちらでもよいということは覚えておきたい。
昨今の風潮としては、それよりも心から祝いたいという気持ちを尊重するようだ。2には「ペア」という意味があるため、2万円を包むことに抵抗を感じない人も増えている。
〈陰陽を表す太極図〉
【ドラマ・映画・マンガにまつわる雑学】ドラマ・映画・マンガもウソばかり
〈ドラマ・映画のウソ〉
遠山の金さんは素肌を見せていない
「彫り物」はあっても「入れ墨」はない
遠山の金さんこと遠山金四郎は、原姓は藤原、幼名は通之進、長じて金四郎、諱(いみな)を景元といった。幕府では初めに大隅守(おおすみのかみ)、その後に左衛門尉となったので、幕府の中では「遠山左衛門尉」と称された旗本である。
遠山金四郎は天保11年(1840)から14年までを勘定奉行からの横滑りで北町奉行を務め、次に大目付になり、弘化2年(1845)から嘉永5年(1852)まで南町奉行として務める。南町奉行を病気で辞職した後は隠居、安政2年(1855)に61歳で亡くなってしまうのだが、江戸町奉行230年の歴史の中で南町、北町の奉行を務めたのは極めて異例、金四郎ただ1人なのだ。時代劇のドラマの中では「北町奉行、遠山左衛門尉様、ご出座」と呼ばれているので、遠山の金さんの物語は天保11年からの3年間のことだとわかる。
「この桜吹雪を見忘れたか」で有名な彫り物だが、これは「入れ墨」ではない。江戸時代、入れ墨とは罪人の腕に黒く線を入れたもので前科の数を表した。よって町奉行が前科者であるわけがなく、もし胸や背中に彫られていても、それは自分が望んだ「彫り物」なのだ。
金四郎が彫り物をしていたという証拠は現在どこにもない。しかし金四郎は青年期に家を飛び出して無頼の徒と交わったという過去があるようで、肩や二の腕に彫り物をしたという説もある。別の説によると、肩には「髪を乱した女の生首」が彫られていたともいわれる。
金四郎自身は袖がめくれるのをひどく気にしていたようで、素肌を見せることもなかった。彫り物を若気の至りと恥じていたのではなかろうか。
【統計にまつわる雑学】グラフに隠された統計のウソ
〈統計のウソ〉
日本人の60%は平均年収以下
年収の水準を調べるには平均値は向いていない
一向に上向かない日本経済。国民の平均年収は400万円ほどといわれている。こう聞くと400万円前後の給与をもらっている人が日本で一番多いのかと思ってしまうが、実はこれが間違いなのである。
そもそもそのデータの平均を表す平均値というのは、N個のデータがあった場合、全てのデータを足してNで割ったもので、大まかには中央なのであるが、実際の中央とは異なっている。下の図は、国税庁が毎年発表している民間給与調査の実態をグラフ化したもの(一部抜粋)である。これは平成23年度のものであり、この年の給与所得者の平均年収は409万円であった。このグラフを見ると409万円をもらっている人が一番多いというのは、あまり実感できないのではないだろうか。グラフの中で最も多いのは301~400万円のところで、次に高いのは201~300万円のところである。つまり、300万円前後の人が多いと感じないだろうか。このように、全データ中、最も多く出現する値を最頻値といい、それは平均値とは異なっている。
また、このデータで調査した全ての人を上から下まで金額順に並べた時にちょうど真ん中に来る金額の人も、301~400万円のところに出現する。この値を中央値という。
平均値というのは実は水準を調べるのには向いていないとされる。例えば、年収の場合、年収の高いものが多くいればいるだけ、平均年収を押し上げて、実際の水準の値とかけ離れていってしまうからである。このことから、最頻値や中央値の方が、日本で一番多い給与所得者の年収に近いと考えられている。
400万円以下の年収の人が圧倒的に多い
日本人の多くが平均年収以下ということを示すもっとわかりやすいデータがある。平成26年度の国税庁の民間給与実態統計調査から、400万円以下の人数の比率を見てみよう。400万円以下の男性は1645万人で、これは全調査人数のうちの59.9%、女性は1700万人でこれはなんと90%にのぼり、平均年収より低い年収の人が圧倒的に多いということがわかる。
平均年収より圧倒的に低い女性の最頻値を見てみると、101~200万円以下の層が最も多く、その数は500万人を超える。その次に多い201~300万円以下の層でも400万人を超え、この2つの層だけで400万円以下の女性の5割を超えてしまう。
更にいえば、この調査は全労働者を調べたわけではなく、この調査に含まれていない人たちもいる。この調査には、源泉所得の納税がある会社の従業員しか含まれておらず、それに該当しない労働者、即ち、自営業や公務員などは含まれていない。
国税庁の発表では、平成23年度の国家公務員の平均年収は653万円、地方公務員の平均年収は683万円で、毎年おおむね600万円台で推移している。これら公務員を含めるとなると日本人の平均年収は更に上がることとなり、庶民の年収とよりかけ離れていってしまうことがわかるだろう。
平成25年の平均年収は413万円で、これは前年の408万円に比べ1.4%増加した。更に平成26年には415万円、前年比0.3%の増加となり、ここ数年は微増傾向にある。新聞などでも平均年収が上がったという事実をあおり立て、そのような見出しを見ると景気は上向いていると感じてしまうかもしれない。しかし、多くの人々はこのような記事を読んでも、全く実感できないのではないだろうか。
それは今まで述べてきたように、平均年収というものが日本人の年収の実態とかけ離れているからなのである。平均年収に比して自分の年収は低い、周りはもっともらっているはずだというのは統計上の錯覚に過ぎず、実際には平均年収以下の人数の方が圧倒的に多いという事実を覚えておいてもらいたい。
【環境問題にまつわる雑学】環境問題はウソだらけ
〈環境問題のウソ〉
紙のリサイクルは環境に悪い
紙の生産が増えると環境は保護される
日本は世界の三大森林国の1つと呼ばれ、国土面積の6割から7割を森林が占めている。
その年に利用した木の量を生長した木の量で割ったものを森林利用率といい、年間どの程度利用したかがわかるのだが、フィンランドやスウェーデンのような森林国では7割から9割程度の利用率となっているのに対し、日本は4割程度しか利用していないのである。
こういった現状になったのには多くの原因があるのだが、こと環境問題という視点で見てみると「紙をリサイクルして森林を保護しよう」というスローガンが広がったことがあげられる。
かつて日本では森林が乱伐されたような時代があった。しかしその後にこれを是正し森林の保護や管理が行われていたのだが、森林をそのまま放っておくことこそが環境保護につながるとばかりに利用率が下がっていってしまったのだ。
世間のイメージでは製紙会社が紙の原料としての森林を無闇に伐採して、森林破壊を加速させているように思われているが、製紙会社がそういったことを行えば自分たちが使う原料を失い商売が成り立たなくなるばかりなので、そんな無計画なことをするわけがない。もともと紙の原料となる森林は、製紙会社が直接に長期管理しているものばかりだから、紙の生産量が増えることで保護される森林が増えると考えるべきなのだ。
それならば今後、どのようにしたらよいかといえば、日本の森林はまだ多くが利用できるばかりかほとんど利用されていない状態なので、これを有効利用すればよい。
日本の森林を有効利用すると年間500万tくらいの紙の生産が望めるといわれているのだ。
再生紙の方が新しい紙よりもコストがかかる
紙は元来、森林に日光を浴びさせて育った木を利用するものである。ペーパーレスが叫ばれている昨今だが、紙は省資源によいといわれる太陽光発電や水力発電と同様な自然エネルギーを使用するものなので、実はこれからの時代に即したものなのだ。
しかし紙をリサイクルするとなると、トラックでの収集や、紙についているインクを取り除く作業などに石油や化学薬品を使うことになってしまう。太陽を利用したものが新しい紙、石油を使ったのが再生紙といった構図になるので、単純に考えても新しい紙を使った方が省資源になることがわかるはずだ。その上、再生紙をつくるためには、新しい紙をつくる時にかかる石油の2倍以上の量がかかってしまうことになるのである。
そうして2倍以上のコストをかけて無理して再生紙を完成させたところで、3回もリサイクルすれば劣化してもうボロボロになってしまう。紙のリサイクルでは細かい字までよく見えるものにするために、これに耐えうる白さを取り戻さなければならないからだ。
多くの方の記憶にあるだろうが、2008年に製紙会社の再生紙偽装事件(それまでに発行された全ての再生年賀はがきの古紙配合率が偽装されており、40%と表示されていたものが1~5%という低い配合率だったという事件と、政府官庁が購入していた100%再生紙が実は半分くらいの古紙配合率しかなかったという事件)が起こった。
この事件が衝撃的だったのは、私たちの常識の範疇(はんちゅう)では中古品を新品と偽ることはあっても、新品を中古品として売ってしまうという感覚が全く理解できなかったからだ。小学校の時代から古紙回収による紙のリサイクルは環境を守るためと教えられ、誰もがずっとそれはよいことだと洗脳されてしまっていたことに、気づかなかったところに原因があったのかもしれない。
現在、日本で使われる木材の8割は輸入されたものだが、自国の森林を活用すれば8割が自給できるといわれている。材木の森林利用率の低下は外国から輸入した方が安いからだということもあるが、リサイクルに無駄な費用をかけているくらいなら自国の森林を有効利用した方が得策には違いない。無理やりつくった再生紙より少しばかり高価でも、新しい紙をつくる方が環境面でも経済面でもまだましなはずである。
“実はウソだった!” 雑学の記事まとめ
これまで“常識”だと疑わなかったのに実は違った……と驚かされたストーリーが、いくつかあったのではないだろうか?『平家物語』にある「諸行無常の響きあり」という言葉のとおり、世界は絶えず変化し続けている。コマメに知識をアップグレードして、知らなかったと恥をかかないようにしたいものである。
教えてくれたのは……
トキオ・ナレッジ(Tokio Knowledge)
【Profile】
誰でも知っていることはよく知らないけれど、誰も知らないようなことには妙に詳しいクリエイティブ・ユニット。弁護士、放送作家、大手メーカー工場長、デザイナー、茶人、ライター、シンクタンクSE、イラストレーター、カメラマン、新聞記者、ノンキャリア官僚、フリーター、主夫らで構成される。著書に『正しいブスのほめ方』『正しい太鼓のもち方』『スルーする技術』(すべて宝島社)など。
(抜粋)
『ずっと信じていたあの知識、実はウソでした! デラックス』
著者:トキオ・ナレッジ
編集:坂尾昌昭、小芝俊亮、小林龍一、北村耕太郎(G. B.)
執筆協力:井上健一、原遙平、米良厚
表紙イラスト:竹中
本文イラスト:竹中、イラスト工房
web編集:FASHION BOX
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