「豆乳入り珈琲とダイヤモンド〜Thirsty Thirty, too Happy〜」 By LiLy

「結婚ねぇ。わたしは、向いてないと思うんだ」

「ね、だよね。私もだよ。アハハ」

いつもどおりの会話の流れで、わたしたちはマスクの奥で小さく笑い合う。隣を歩いているのは同じ歳の女友達、エミカ。目の下に、抜け落ちたマツエクが1本ついている。なにも言わずに、指でつまんで取ってあげる。きっとこれは、0.1ミリのCカール。

「あ、なにかついてた? ありがと。ね、ほんと、うちらは、ねぇ~」「ねぇ~」

いつからだろう。ううん。心の中でまで、とぼけるのは止める。29歳の誕生日が近くなってきた頃からだ。わたしは自分の中の結婚願望を、過剰包装して胸の奥の方へとしまい込む準備に入った。

「もうすぐハルも30歳かぁ~。やっとこっちにくるか~」

「アハハ! 絶対楽しいよねぇ、30代! 」

あれから1年かけて、わたしはすっかり準備を整えた。どこまでも果てしなく前向きに、独身のまま30代を迎える準備だ。

「って、私もまだ半年しか知らないけど、30代。意外とまだまだ若いよね~」

「つか、なんも変わらないよね、実際」「確かに」「アハハ」「パーティしようね!」「えー、嬉しいー!!」

ほらね? 表向きは、もはや完璧。明るい30代のスタートに向けた準備は完了。でも、なんだろうーー

ーーーあと1週間で、ほんとうに「30歳」になってしまう。

喉が乾くみたいに、心の一部が潤うことなくヒリヒリしてる。

ただ、最もややこしいのは、エミカに見せているこの笑顔も「嘘」ってわけではないことなのだ。そこが自分でもややこしい。

1年前から準備を始めた「ハッピーな30歳になる」という名の武装に、自分の本心の方が引っ張られたのか、なんなのか……。実際に、独身のまま迎える30代を楽しみに思う気持ちもあるのだ。ここが自分でもむずかしい。

わたしには、5年付き合っている4歳年上の彼氏がいる。3年前から一緒に住んでいる。それこそ彼と出会う前、20代前半だった頃は「彼氏ってどうやったらできるんだろう」って思って遠い目をしていた気がする。ここ数年のわたしが、結婚について考える時と同じように……。

あの時は、考えるより先に動いていた。

彼と付き合い始めた時は、そんな感覚だった。いいなって思った相手が自分のこともいいなって思っていることが自然に伝わってきて、だから「好き」ってわたしから言ったのだ。

そもそもが恋愛体質ではない彼は、真面目で誠実。振り回されることの多い恋を繰り返していた当時のわたしは、そこに物足りなさなんて感じなかった。温もりと安堵。そして、彼がわたしにもたらしてくれるものは今も変わらない。

別々に暮らしていた時は、連絡不精な彼に苛立って喧嘩になったこともあったけど、帰る家が同じになったことで問題は解決。そこからは日々仲良く、ただ悪い意味で「結婚生活ってきっとこんな感じなんだろうなぁ」と思わされる同棲生活が続いている。

彼はセックスの時にしかキスをしない。つまり、月に一度しかキスがない。もちろん、それを不満に思った過去のわたしの発案で「いってきます」のキスは習慣づけてある。ただ、わたしが欲しいのは、そんなライトな挨拶キッスのことでもないわけなのだが彼は0.1ミリも気づかない。

「はい。豆乳入り珈琲」

毎朝彼は、そう言ってあたたかいマグカップを手渡してくれる。ベッドから出ると彼はトイレに行くより先にキッチンへと向かい、湯を沸かしてインスタントコーヒーをつくり、豆乳で割ってから、まだベッドの中にいるわたしに差し出してくれるのだ。

「ソイラテ。どうもありがとう」

わたしは毎朝、そう言いながら起きあがる。この恒例のやりとりに、彼はいつまでも飽きることもなく小さく笑ってくれる。

ーーー小さな幸せ。

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ううん、こういう小さなことが毎日続くことこそが幸せであること、頭ではわかっているつもり。でも、豆乳入り珈琲だけではどうしても潤わない場所が、ずっとわたしの中にあることも事実だった。

「付き合いが長いから、結婚する勢い!みたいなものを失っちゃったんだろうねぇ」とエミカは言うが、最初からそのような勢いを持っていないのが彼という人。

感情の波は常にフラットで、燃えない代わりに冷めることもない。そこが彼の魅力であり短所。浮気の心配もないけれどわたしに対しても淡白で、真面目に働いているけれど金持ちになりたいという野心があるわけでは全くない。

彼のことは好きだけど、結婚するなら、もっといい人がいるのかもしれない。ーーそんな考えが、去年までは確かにわたしの頭の隅に常にあった。常に。

それが、2020年。1990年生まれの私が30歳になる今年。

コロナ禍で彼が在宅業務、わたしの働くエステサロンが臨時休業へと追い込まれた春から初夏にかけての数カ月間で、確信してしまった。

……わたしは、彼と別れることはできない。彼から離れられない。彼を失えない。

小さな1LDKの中に24時間ずっと一緒にいたことで、彼の隣にいることのあまりの居心地の良さに驚いた。たとえ家の外がどんなに不安定に揺れていようが、2人でこの中にいれば安全だと感じた。心から。テレビやSNSのすぐ向こう側で、荒れては乱れ続けていた世界のほうに現実味を持てないくらいだった。まるで、ここが台風の目であるかのように、彼とわたしの間にはどこまでも穏やかで優しい時間が流れていた。

「リモコン取って」って言うのと同じくらいのテンションで、「サロンが休みの間の家賃と生活費は心配しないで」って言ってくれたことも、わたしは一生忘れない。嬉しかった。有難かった。涙がでそうになるくらい、彼の存在が頼もしかった。

だからといって、「なら、いいじゃん! 結婚しちゃえ!」とはならない。エミカだってそうは言わない。結婚するタイミングを逃した同棲経験者だから、このなんとも言えない心のモヤを理解してくれる。「彼と離れられないと実感したことは、朗報であり悲報かも」と嘆いたわたしにエミカは深く頷いてくれた。

「わかるよ。婚期を逃すんだよね、プロポーズはしてくれないけど優しい彼氏を持つと……」同じ歳の彼のもとを、今年の初めにエミカは去った。

「ま、ハルのところは様子見だね……」「だね」と、わたしたちは最後にいつも言い合う。でも、いつまで?と心の中でわたしは思う。

「今すぐには想像がつかないけれど、いつかは子どもも欲しいんだよな」「それは私もだよ。ただ、さぁ、まるで結婚みたいにマンネリ化した同棲生活に不満を抱くうちらみたいなタイプって、そもそも結婚に向かなくない?」「……」

2年の同棲を経て別れを選んだエミカが、わたしに同意を求めていることが伝わる。エミカだって不安なのだ。それに、言っていることの意味そのものは、とてもよくわかる。だからわたしはそこで一緒に笑ってみせる。

「はい。豆乳入り珈琲」

昨夜、わたしが一睡もできなかったことに全く気づいていないどころか、彼は今日が30歳の誕生日であることまで忘れている。いつものように、「おはよう」の代わりにあたたかなマグカップを差し出すことで起こしてくれる。

こういうところだ。こういうところなのだ!

昨日から、わたしは彼が誕生日を忘れていることに気づいていた。でも、自分から言いたくなんてなかった。結婚も同じだ。これと、まったく同じだ!

彼の口からは、いつまで経っても結婚の「け」の字もでてこない。話し合ったことは一度だけある。互いの両親に挨拶をして正式に同棲を開始した時だから、あれはもう3年も前になる。

「付き合う時に最初に好きって言ったのはわたしなんだから、せめて結婚はあなたから言ってほしいと思ってるからね」「そうか、わかった」

わたしにとっては人生の一大事であるこの会話も、彼は丸ごと忘れているに違いない。誕生日すら覚えられないのだから! 怒りを超えて悲しみが胸に込み上げる。

彼と離れたくないと心底思った夏から今に至るまでの3カ月間のあいだで、もう一度彼に伝えたい、と何百回じゃ足りないくらい思ってきた。そのたびに、わたしは言葉を飲み込んだ。だって、自ら必死にリマインドすることでやっとされるプロポーズなんて……考えるだけでミジメになってきて泣けてくる。

マグカップを受け取るために、布団から腕を出す。彼のほうに伸ばした自分の左手をジッと見る。仕事柄ネイルもできないし、指輪なんて一つもついていない。

裸ん坊……。心の中でそう呟きながら、指を広げて手を眺める。

人差し指と薬指のあいだにはU字を描くように出会い運が巡っていて、その流れを堰き止める役目がダイヤモンドの指輪にある、と聞いたことがある。

――――もう貴女が僕以外の誰かと出会いませんように。

聞いた当時は感動したエピソードすら、今は私をどこまでも悲しい気持ちにさせる。

安心しているのだろうな。約束なんかしなくても、宝石でわざわざ今後の出会い運を止めることをしなくても、君は誰とも出会いっこないって。考えれば考えるほど、深みにハマる。魅力がないって言われているようにまで思えてくる。

今日はわたしの30歳の誕生日。子どもの頃から、キラキラとした夢を膨らませるような気持ちで思い描いてきた「30歳」。

そんな夢で描いていた「わたし」から今のわたしはとてつもなく遠いところにいる。

「ん? どうしたの? 体調悪い?」

ようやく彼が、マグカップを受け取ろうとしないわたしの異変に気づく。「大丈夫?」近づいてくる彼の顔が、どんどんぼやけてくる。もう、限界だった。勢いよく目に込み上げてきた涙が、ポタポタと頰に落ちはじめる。

そしたら、まるでいつもの「ソイラテ」みたいな平坦なリズムで、「結婚しよ」わたしは彼に告げていた。

 

                                                                              To be continued……

【記事内で着用したリング】

St. glare
セントグレア

銀座ダイヤモンドシライシを代表する、人気のソリテールリング。360度どこから見てもまばゆい輝きを放つセントグレアは、まるで教会の窓から差し込む光のよう。イスラエルでバイヤーが厳選した高品質ダイヤモンドの輝きを最大限にひきだす計算されたデザインで、花嫁の指先で華々しく輝き続けます。

リング[セントグレア]¥170,000~
Material: PT(プラチナ)

記事の後半はこちらから

銀座ダイヤモンドシライシ

日本初のブライダルジュエリー専門店。ダイヤモンドとデザインをそれぞれ選べるセミオーダー方式だから、運命のリングが完成します。こだわりのダイヤモンドは、イスラエルの現地法人でバイヤーが厳選し買い付けるからこそ、高品質なダイヤモンドが豊富に揃います。運命の一石となるダイヤモンドの輝きをぜひ店頭で確かめてみて♡

お問い合わせ先
銀座ダイヤモンドシライシ 銀座本店
03-3567-5751
https://www.diamond-shiraishi.jp/

story_LiLy
Model_HARUMI SATO
Photo_KAORI IMAKIIRE
Styling_ETSUKO YAMAMOTO
Hair & Make-up_YUKI ISHIKAWA[Three PEACE]
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