春画から垣間見える、セックスレスとは無縁な江戸庶民の暮らし

春画から垣間見える、セックスレスとは無縁な江戸庶民の暮らし

 

性を謳歌した江戸っ子

天下泰平の世となり、世界でも有数の100万人都市として栄えた江戸。数々の文化が開花した一方で、実は性事情も自由奔放だったという。その様子を、春画という存在を通して見てみよう。

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春画は“粋なエンターテイメント”!

現代のアダルト作品は、好奇心旺盛な若者や、欲求不満の男性が見るものというイメージが強いだろう。けれども、江戸時代の春画は違った。春画というのは特に隠れて見るものではなかったのだ。夫が春画を妻に見せて、誘いかけるためのものでもあった。

葛飾北斎や喜多川歌麿といった浮世絵の巨匠たちも、おおっぴらに春画を発表している。ペンネームである隠号は使っていたものの、素性を知られたくないという意味合いではなく、遊び心やしゃれ、春画の世界観に浸るために名を変えたのである。
たとえば、歌麿の隠号は「不埒茎」、北斎は「鉄棒ぬらぬら」「紫色雁高(ししきがんこう)」など、かなり直接的で扇情的、いかにも「エロい」隠号を名乗っている。

もともと「恥ずかしいもの」「いけないもの」という意識がないのだから「芸術かエロスか」などという議論もなく、春画は春画。描く絵師も見る人々も、お互いに楽しんで生活の中に取り入れている。庶民のごくありふれたエンターテイメントだったというわけだ。

 

夫婦の営みを象徴する春画

それは春画だけではなく、実際の行為そのものにもいえることだった。江戸時代の庶民は、性に対しておおらか。性は生。生きることであり、特別なことではない。ただし、ごく個人的なものであるため、たとえば排泄行為と同じように、人前でするものではないという程度の認識だったとされる。

しかし、子どもの父親の判明という問題は重要であった。そのため、誰かれなく交わるのが当たり前ということではなく、やはりパートナーとの性行為が自然なものだった。
そのため春画にも、夫婦の営みを描いたものが多くある。吉原など、特権階級の性の話とは違い、庶民の相手は夫であり妻。子作りのみならず、生活の中の楽しみとして、夫婦の睦(むつ)み合いが盛んだったことが春画からもうかがえる。そして夫婦で春画の枕書きに笑い合い、話題にしながら、また体を重ねたのだろう。自慰行為のためや、若者たちのテキストとして春画が使われることもあった。

俳人・小林一茶は『七番日記』という日記の中で、妻との営みの記録や、妻の生理のこと、夫婦の性についての意識の違いなどについて詳細に記している。その中では、ある日は1日に5回も交わったことなどが淡々と綴られている。一茶が結婚したのは52歳。早く子どもが欲しいという気持ちもあったはずだが、妻とのセックスが日常的な楽しみ、喜びであったことがうかがえる。

春画の男女の表情には、うれしそうな、満足そうな趣きを見せるものが多く見られる。性を謳歌することや夫婦の営みは自然であり、むしろ望ましいことである。そんな戯画を当たり前に目にしている人々にとって、愛しい相手と交わるには、時間や回数はもちろん、相手との関係さえ問題ではなかったことだろう。

 

監修者:安藤優一郎 Profile

歴史家。文学博士。 1965年千葉県生まれ。早稲田大学教育学部卒業、同大学院文学研究科博士後期課程満期退学。「JR東日本・大人の休日俱楽部」など生涯学習講座の講師を務める。主な著書に『江戸を賑わした 色街文化と遊女の歴史』(監修/カンゼン)、『大江戸の飯と酒と女』(朝日新聞出版)などがある。
https://www.yu-andoh.net

 

(抜粋)

春画から垣間見える、セックスレスとは無縁な江戸庶民の暮らし

TJ MOOK『春画でわかる江戸の性活』
監修:安藤優一郎

 

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編集  坂尾昌昭、中尾祐子、楠りえ子(株式会社G.B.)
執筆協力  稲佐知子、浦島茂世、高山玲子、龍田昇

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