青木さやか 「親が好きじゃなくても子育てはできる」確執があった母との和解を経て|インタビュー

青木さやか 「親が好きじゃなくても子育てはできる」確執があった母との和解を経て|インタビュー

新たな社会問題になっている「毒親」。家族問題であるがゆえに周りに相談することも難しく、ひとりで悩みを抱え込んでいる人も多いかもしれません。しかし、そのままではいずれ「毒親介護」という新たな問題に陥る可能性も。

今回は、毒親に苦しむあなたに贈る、「親から離れて、幸せをつかむ方法」を徹底解説する一冊、TJ MOOK『毒親から離れて、幸せになる方法』のなかから、タレントの青木さやかさんの体験記をご紹介します。

TJ MOOK『毒親から離れて、幸せになる方法』

≪親の支配に悩むあなた、これを読めば大丈夫≫

精神科医/心理カウンセラー/メンタルコーチが教える
親からの脱出ステップ

毒親に苦しむあなたに贈る、「親から離れて、幸せをつかむ方法」を徹底解説する一冊。新たな社会問題になっている“毒親”。家族問題がゆえに周りに相談することも難しく、ひとりで抱え込んでいる人も多い。しかし、そのままではいずれ“毒親介護”という新たな問題に陥る可能性も。そこで毒親のもとで育った著名人や、毒親に悩む人々を救ってきた専門家へのインタビューをもとに“毒親からの抜け出し方”を解説します。

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毒親脱出のステップ|自分から親の手を離してもいい! 親から逃げ出すベストタイミングは?

 

タレント 青木さやかさんの体験記

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タレント 青木さやかさんの毒親体験記
タレント 青木さやかさんの毒親体験記

 

きっかけは両親の離婚。ただ、母にほめてもらいたかった

――母親との確執と和解、看取りに至るまでの一部始終と、当時の心情をつぶさに描写したエッセイ小説『母』が好評です。

ありがとうございます。振り返ってみると、執筆中は精神的になかなかつらいものがありました。心の奥底に隠していたこと、忘れようと蓋をしていたことをほじくり返して思い出し、文章にしていく。その繰り返しでした。商品として世に出すからには、きちんと人に読んでもらえるものにしなくてはいけません。ただただ自分と向き合い続けるという作業でした。

おかげさまでいろいろな反響をいただけているのはうれしいです。自分の母親を思い出した方、自分と子どもとの関係性を見つめ直した方など、体験談を交えて本の感想をお話ししてくれる方が多いんですよ。ありがたいことに、『母』を読んで、さまざまな角度から分析をしてくれる専門家の方もいらっしゃいましたね。自分としては、もう過去のこと、既に終わったことなのですが、ケーススタディの対象にまでなったことは、すごくありがたく思っています。

そうそう、意外なこともありました。団塊の世代の方から謝られたんです。「親子関係で悩んでいる世代は自分の子ども世代だ。申し訳ない」って。「そんなこと言われても」と思いつつ、驚きもありました。個人的な親子間の問題だと思っていたら、世代の問題として捉えている方もいらっしゃるわけですから。

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――「毒親」というフレーズで本を紹介する方もいらっしゃいます。この言葉をどう思われますか?

強い言葉ですね、キャッチーだし、使いやすくもある。けれど、自分もまた母親ですから、耳にするとちょっとドキッとすることがあります。私を含めて誰もが毒親の要素を持っているかもしれないし、なる可能性がありますから。自分だって、もしかしたら毒親かも。そう思ってしまいます。

毒親と子どもが感じるのは、親と子の個性に左右される部分もあるのでは。同じ親から生まれ、同じように育てられたきょうだいでも、関係がこじれてしまう子どももいれば、仲良くやっていける子どももいる。それぞれの個性によって、母親との関わり合い方が変わってくると思うんです。振り返ると、当時の自分は母親と噛み合わなかったんだと思います。今では客観的に見ることができていますが、仲直りするまでは母の言動が本当に気に入らなくて、ずっとイライラしていました。

だけど、個性によるところが大きいから、「毒親」像も人それぞれでしょう。私が母親にされてつらかったことに、「なぜこんなことを気にするの?」という感想を持たれる方も多い。逆に、私は大したことがないつもりで書いたエピソードを「読んでいて自分のことのように怒りが止まらなかった」という反応を寄せてくださる方もいる。私が投げかけた「親」像も、受け止め方は人それぞれだと思います。

 

――お母様と自分は合わない。そう明確に感じたのはいつ頃からだったんですか?

高校生のときです。ともに教員だった両親の離婚がきっかけです。自分は当時思春期で、今よりも離婚をとても大きなことと捉えていました。職業柄、母親はすごく世間体を気にしていたし、自分が理想とする価値観や振る舞いを私たちに強く押しつけるところもありました。そんな彼女が、これまで否定してきたシングルマザーの道を選択したわけです。本当のところは父と母の2人の間でしかわからないものですが、私は離婚の原因は母にあるように捉えてしまいました。そして母に強く失望し、生理的に受けつけなくなってしまった。それからは、ほとんど口をきくことがありませんでしたね……。

 

人生の節目できっと和解できる。なかなか、その思いがかなわない

人生の節目で母と和解できるのか……
人生の節目で母と和解できるのか……

 

――失望したということは、それまですごく期待をしていたということでしょうか?

はい、私にとっては自慢の母親でした。だから、そんな母にほめられたくて努力していたところがありました。でも、私は母親にほめられたことがなかったんですよ。自分としてはすごく頑張ったつもりでも「ここが足りなかったね」「もう少し頑張れたね」と言われる。

そうなると、ほめられないのは自分に問題があったからだと感じてしまう。自己肯定感というものを育むことができなかったわけです。自己肯定感の低さは仕事や対人関係に大きく影響してきました。

 

――そんな状況でありながら、青木さんは母親と仲直りすることを選択します。

私は母親のことが大嫌いでしたが、心のどこかで仲直りできるものだと思っていた部分もあったんです。上京して親元を離れるとき、結婚したとき、出産したとき。そういった人生の節目で、親のありがたみを痛感して、そこから親の見方が変わり、楽しく語り合える関係に戻れるのかな? そんな期待を持っていたこともありました。多くの人たちがそんな体験を通して親と和解したと言っていますし、メディアでもそんなエピソードをよく見てきましたからね。

だけど、私には結局できませんでした。生まれたばかりの娘を母が抱いたとき、「私の大事なものに触らないでほしい!」と、怒りの感情が湧いてしまったぐらいですから。関係が思うように改善しないから、そうした節目のたびに落ち込みもしました。親への感謝の気持ちが出てこない自分って、なんてダメな人間なんだろう……そう思ったこともありましたね。

 

――それでも、思い切って仲直りしたわけですよね。当時の心境はいかがでしたか。

人を嫌うことって、とにかく疲れます。私は、嫌いな人がいると心も体も重たくなってしまう。この状態を何とかしたい。常に、そう思っていました。

母親と物理的に距離を取ったら良いんじゃないかと考えて実家を離れて上京したり、心理的に距離を取ったら良いのかと連絡を控えてみたり、いないものとして考えてみたり、逆に思うことを母親にぶちまけてみたり、世間に向かって母親が嫌いだったと叫んでみたり、とにかく考えられるすべてのことをやってみたのですが、どうもうまくいきませんでした。

このままでは、いつまで経っても「自然に」仲直りするなんてできっこない。だから、私は思い切って仲直りを「決行」したんです。「仲直りをするぞ」と覚悟を決めて歩み寄り、実行に移しました。

 

友人のすすめで仲直りを決意。もう、これ以上後悔したくない

後悔したくないから仲直りを決意
後悔したくないから仲直りを決意

 

――そこまで強い気持ちで仲直りしようとしたのはどうしてだったのでしょう?

母が末期のがんでホスピスに入院したのがきっかけです。私は動物愛護の活動をしているのですが、そこでできた友人が「それは(仲直りの)最後のチャンスじゃない?」って言ってくれたんです。「親と仲良くしたほうが、自分が楽になれるよ」とも。当初は「頭ではわかっていますが、なかなか難しいんですよね」といったように、グダグダ反発していましたけどね。

もちろん、母親とまったく交流がなかったわけではありません。ごく一般的な親孝行はしていたと思います。仕送りをしたり、旅行に連れて行ったり、娘に会わせたり。不機嫌な気持ちを抱えつつ、表面的には普通に接することもできてはいました。だから、何もせずに見送ることもできたのですが、このまま母が亡くなったら、自分の嫌な気持ちは永遠に解決できないままになってしまう。そんな思いもありました。

あと、父との別れに後悔していることも原因の一つです。最後に話したのは、父が亡くなる数か月前のこと。電話口で娘の教育のことで口論になり、ケンカ別れしてしまったんですよね。その後、父は突然倒れ……。意識不明の父の枕元で「ごめんね」と言いました。父に届いたかどうかはわかりません。そのときのことを今でもすごく後悔しているから、母とは解決できたら。そう強く思ったんです。

 

――解決に向かおうと決意して、どんなアクションを起こしましたか?

それまでの私は「どうせこんなことをしても、母からはこんな返事しか来ないでしょう」と、事前にリアクションを予想し、身構えながら対応していたのですが、それをやめました。相手の反応に何も期待しない。ゼロの状態で対応していくことに決めました。これって他の人には簡単なことかもしれませんが、私にとっては意識しないとできない、すごく難しいことでした。

仲直りをするに当たって、まずは母に「私は良い子じゃなかった、ごめんなさい」と謝ることからスタートしました。東京から母が入院しているホスピスがある名古屋まで、車の中で稽古しながら向かったんです。機嫌の良い表情を作り、何を話すか考えたことを思い出します。きつかったですけどね(笑)。

 

――生前、お母様にこうしてほしかったという思いはありますか?

それが、今となってはまったくないんですよ。母との確執を私なりに解決してみたところ、母に求めるものも自然となくなっていったんです。もちろん、過去に母が嫌いだったときは、ものすごく欲求がありました。もっと純粋に愛してほしかった。もっとたくさん抱きしめてほしかったし、自分をもっとほめてくれたらよかったのに! そんなことが数え切れないほどありました。だけど今は、母に求めたいと思うことはなくなってしまいましたね。

 

――お母様との和解で、悩みだった自己肯定感も上げることができた。やはり、そこに問題の根っこがあったんですね。

そうですね。母親のことを嫌いじゃなくなった。これが一番だと思います。日々を過ごすなかで、自己肯定感が自然に上がっている。そんなことを感じる日々です。今にして思えば、親との関係もそうですが、とにかく自分に自信が持てない。それが私の問題でした。

テレビで人気が出ても、結婚しても、子どもが生まれても、自信が湧いてくることなどありませんでした。自己啓発系の本を読んだり、つき合う男性に頼ってみたり、いろいろ試みたんですが、そういうことではなかったんです。楽になれることはありませんでした。そんな自分自身の問題もあったから、重い腰を上げて「親と仲直りする」という荒療治にチャレンジできたのかもしれません。

 

つらい経験があっても、子どもを育むことはできる

――ここまでこられたのは、周囲の方のアドバイスも大きかったようですね。

「親が好きじゃない」――そう言ったとたん、非難されたことがありました。これって、人によってはまったく受け入れられない価値観だったりもするのでしょう。当然、人に気軽に話せることではありません。だから、「親孝行は道理」と、背中を押してくれた友人をはじめ、客観的な判断をしてくれた人たちのおかげで、何とか私はここまでたどり着けたと感じています。

子育ても楽になりました。娘と関わるなかで、自分に母親の姿を見ることもありました。言葉のかけ方だったり、触れあい方だったり。以前はそれがすごくつらかった。嫌いな母と同じことをしているわけですからね。そして、そんな自分を嫌いになっていきました。でも、今は違います。自分の中にいる母親を発見すると、とても懐かしい気持ちになれる。一人じゃなく、後ろ盾がいるような気持ちで、すごく楽になれるんです。現実は一人で育てているから手が足りているということはないんですが、子どもと過ごす毎日が、前よりも楽になりました。

 

――親との関係がこじれていたため、子どもを持つことをためらう方もいます。親子関係に悩みを抱えている方へ、ヒントになるメッセージをお願いします。

私自身、自己肯定感は上がりつつありますが、子どもを持つ怖さ、人と深く関わることの怖さは、今なお自分の中に残っています。この怖さをリアルに感じているから、子どもを持つことに躊躇する方が多いのもわかります。でも、私は自分にあきらめなかった。自分が言えるのはそれだけです。私が家庭を作って子育てができている理由について、ある専門家の方は、私自身の生命力が強かったからだ、とコメントをしてくれました。また別の方は、愛されていた記憶があるからかもしれない、とおっしゃっています。

だいたい、私が子育てなんてできているかどうかも怪しいのではないでしょうか。もともとバランスの悪い人間だと思ってきましたから。娘のパパや、学校、地域の方と一緒になって子どもを見守ってきた。そんな感覚もあります。怖さもありますが、冷静になって、客観的に見られることができているのは、一つの強みになっているでしょう。だから、私は「人生はどうにかなる」と思っています……その人さえあきらめなければ。

 

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教えてくれたのは……タレント 青木さやか(あおきさやか)/Profile

タレント 青木さやかさん
タレント 青木さやかさん

 

愛知県出身。フリーアナウンサーとして活動後、お笑い界へ転身。バラエティ番組で活躍し、「どこ見てんのよ!」などのキレ芸でブレイクする。ドラマや映画、舞台などにも精力的に挑み、活動の幅は広がる一方。2021 年には母親との確執や和解、出産など自身の経験をエッセイ小説にした『母』(中央公論新社)が話題に。

『母』(中央公論新社)

『母』(中央公論新社)
『母』(中央公論新社)

 

母から逃げるように飛び出した東京、笑いで幸せを運んでくれた先輩たち、そして、娘……。自分のことが嫌いだった著者・青木さやかが、こじれた人生をほどいていく。生きることの意味を追い求めるヒューマンストーリー。

 

(抜粋)

TJ MOOK『毒親から離れて、幸せになる方法』

≪親の支配に悩むあなた、これを読めば大丈夫≫

精神科医/心理カウンセラー/メンタルコーチが教える
親からの脱出ステップ

毒親に苦しむあなたに贈る、「親から離れて、幸せをつかむ方法」を徹底解説する一冊。新たな社会問題になっている“毒親”。家族問題がゆえに周りに相談することも難しく、ひとりで抱え込んでいる人も多い。しかし、そのままではいずれ“毒親介護”という新たな問題に陥る可能性も。そこで毒親のもとで育った著名人や、毒親に悩む人々を救ってきた専門家へのインタビューをもとに“毒親からの抜け出し方”を解説します。

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毒親脱出のステップ|自分から親の手を離してもいい! 親から逃げ出すベストタイミングは?[

 

編集・構成:佐々木正孝(キッズファクトリー)
撮影:近藤 誠、三輪憲亮
取材・執筆:浦島もよ/熊谷あづさ/高山 恵/中澤夕美恵/本間香奈(ハガツサブックス)

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WEB編集:FASHION BOX

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