<俳優・中井貴一の人生の転換期とは>人との出会いや経験が人生の角度を変えた

中井貴一「亡き父に背中を蹴られ俳優に」 映画や舞台で活躍するベテランが、若い頃のエピソードも明かしたロングインタビュー

(2020年2月20日 更新)

類まれな演技力で観るものを魅了するベテラン俳優の中井貴一。映画デビューから今年で39年を迎えてもなお、その勢いを落とすことなく芸能界の第一線で活躍されている氏の人生の転換期についてお話を伺った。

 

≪目次≫
【中井貴一インタビュー】亡き親父に背中を蹴られ俳優を志す決意をしました
【中井貴一インタビュー】失う勇気を持ったときが新しい自分のスタートでした
【中井貴一インタビュー】自分に課している決まりは限界を決めずに行動すること
【中井貴一インタビュー】年齢を受け止めながらも諦めないことが重要だと思う
中井貴一 Profile
『MonoMaster』3月号の表紙は中井貴一さん
『MonoMaster』4月号 最新情報
映画『嘘八百 京町ロワイヤル』information

 

【中井貴一インタビュー】亡き親父に背中を蹴られ俳優を志す決意をしました

――中井さんは、日本を代表する映画スターだった父・佐田啓二と専業主婦の母の間に4歳上の姉(女優の貴惠)を持つ長男として生まれた。しかし、3歳の誕生日目前に、父親を交通事故で亡くす。高校時代はテニスに熱中し、コーチを職業にすることを考えるほどだったそうで、俳優になるなど考えたこともなかったという。しかし、父親の17回忌の供養の際、映画監督の松林宗惠にスカウトされ、成蹊大学在学中の19歳のときに松林の映画『連合艦隊』でデビューする。

親父が亡くなったときはまだ2歳ですから、直接的に影響を受けたことはないですね。でも、生きて教えてくれることよりも親父は死をもって僕に教えてくれたことがすごくたくさんある、というのは成長過程の中で思いました、特に仕事を始めてからは。

ただ、親父がいなかったことでの苦労はやっぱりありますよ。僕たちの世代は「ひとり親」ということをよく言われましたし、残酷なこともたくさんあった時代ですからね。

だけど、今になってみると、親父がいなくて甘えられないってことが僕にとってはプラスにもなっていたんです。なにせ収入がないんですから、生活は本当に質素でしたよ。洋服もドンドン買ってもらえるわけではないし、欲しいものを我慢するのは当然だと思ってました。

僕は子供の頃から俳優になりたいなんて微塵も思ってなかったです。いや、デビューする寸前まで思ってなかった。だから、初めて映画出演の話が持ち上がったときは、「やります」という返事をしたにもかかわらず、「俺、やるって言っちゃったよ。ヤベエ」みたいな(笑)。だって、おふくろにも姉貴にも「人見知りで赤面症のアンタには無理」と散々言われましたから。だから、家族にやるって報告したときの「エエーッ!」って言ったおふくろの驚いた顔ったらなかったな。

未だになぜあのとき「やります」って返事をしてしまったのかがわからない。だって、当時の僕は脳みそが筋肉でできている、というぐらい運動中心の毎日で「断ってくるから」と言って家を出てるんです。絶対に親父が僕の背中を蹴ったんだとしか思えない(笑)。だから、僕の人生においての一番のエポックは、「やる」と言ったあの2秒です。あのときに断っていたら、俳優にはなっていないと思いますね。

<俳優・中井貴一の人生の転換期とは>人との出会いや経験が人生の角度を変えた
出典: FASHION BOX
基本的に取材時のスタイリングは自前という中井さん。今回は、タリアトーレのジャケットに、ヤコブコーエンのデニム。足元はジョンロブ。気品あふれる洗練されたイタリアンカジュアルが素敵だ。

【中井貴一インタビュー】失う勇気を持ったときが新しい自分のスタートでした

――映画デビューの翌年にはテレビドラマ初出演にして初主演を果たす。さらにその翌年の83年、『ふぞろいの林檎たち』で主役を演じ、中井さんの知名度は作品の大ヒットと相まって急上昇した。88年にはNHK大河ドラマ『武田信玄』で主演、俳優としての地位を確固たるものとした。

デビュー当初は、まずこの仕事に興味を持つということが先決でしたから、みんな俳優としての面白さをどこに求めてやっているんだろうというところから掘り起こす作業をしなきゃいけなかった。そのために僕がやったのは、作品を1本ずつやっていく中で自分が吸収できることや興味の持てることを探すことです。僕は器用ではないので、作品を並行してやっていたんじゃそれはできなかったと思います。その仕事の仕方は今も変わっていなくて、39年の俳優人生の中で掛け持ちして仕事をしたことは1回もないです。

もちろん、掛け持ちしてでもやりたいと思ういい仕事もありますよ。でも、どんな場合でも2本重なったときは必ずどちらかをチョイスしてきました。それは、苦渋の決断ですよ。選ぶ時の順番ですか? それは、先にお仕事をいただいたものです。例えば、5カ月前に来た映画に「やらせていただきます」と返事をしたその1カ月後にもっと自分がやりたい仕事が入ってきたという場合でも、先にやると返事をした仕事を優先しています。ただ、心の中ではすごく揺るぎますよ、後のほうがやりたかった役だったりするとね。でも、後のほうを取ってしまうと、僕は自分の中のプラスにはならないような気がするんです。そういう意味では不器用な生き方かもしれません。

具体的な話をすると、24歳のときにある映画をお引き受けしたんです。その撮影のために4カ月スケジュールを取り、さらにとても大きな作品だったのでリハビリ期間が絶対に必要だと思って、撮影が終了した後の2カ月もオフにしていたんですね。ところが、僕には台本でどうしても理解できないところがあって、というか要は意見が対立して、その映画をやれなくなった。別の仕事も決まってなかったので「うわ、これはヤバい。丸々半年スケジュールが空いちゃったぞ」と。取りあえず、トレーニングをしたりして過ごしていたんだけど、一向に次の仕事がこないんです。

そしたら、NHKからドラマのお話をいただいたんです。それは仕事のない飢餓状態の自分の目の前にポンと料理を出された感じでしたね。それも豪華なフルコースではなく、パンとチーズとスープみたいなシンプルな料理なんだけど、そのときの美味しいという思い方が半端じゃなかった。すると、その撮影で初めて芝居をしていて感情を作らなきゃと思わずにスッと感情が入るようになったんです。俳優ってどこかが欠落してたり、何かに飢えていないと成立しない商売なんだなということがよくわかった。これが俳優としては僕にとって一番のターニングポイントだったかもしれません。

それ以来、何かを失わないと何かを得られないというのが自分の中の1つの人生訓みたいなものになりました。ただし、人間って強欲なものですから、すべてを手にしたいと思うんですよね。だけど、やっぱり何かを捨てる勇気を持つ、何かを失う勇気を持つことが新しい自分のスタートになるということがよくわかった。

【中井貴一インタビュー】自分に課している決まりは限界を決めずに行動すること

――シリアスな役柄からコミカルな役柄まで演じる幅の広さで支持を得て、着実にキャリアを重ねていく中井さん。今回中井さんが主演する映画『嘘八百 京町ロワイヤル』は、一昨年公開されて好評を得た『嘘八百』の続編だ。中井さん演じる古美術商と陶芸家(佐々木蔵之介)のコンビが、父の形見をだまし取られた京美人(広末涼子)を救えとばかりにTV局や国家機関まで巻き込むコンゲーム映画だ。『記憶にございません!』に続き、コメディ映画への出演が続いている。

僕は、こなれたくないと思ってるんですよね。テクニックとかは年齢とともについてくるし、体力面が落ちてくるとそのテクニックでカバーしていくみたいなこともあるんだけど、それに僕は抗っていきたい。今、僕は58歳ですけど、例えば28歳の方々とは30年という違いがあるわけです。「今どきの若者は」とか言うけれど、彼らの感性のほうが優れていますよ。テクノロジーも進んでますから、僕が43歳で理解したことを28歳で理解してるみたいなことがいくらでもある。昔、僕たちは先輩に胸を借りると思ってやってきたけど、自分がその立場になってみると、こっちが必死に若い世代に立ち向かわないとダメなんだな、と。年を取るってそういうことなんですよ。だから、彼らが2頑張ってたら、僕らは6頑張らなきゃいけないんです。そうしないと彼らと同じ土俵に立てない。そういうことを最近しみじみ感じるようになってきました。

脳って酷使すれば酷使するほど発達するんですね。だから、限界って自分が決めてると思っています。もう無理だって。僕も台本をもらって日々追われると「ああ、もう無理」と思うけど、それでも何とかやっていくでしょ。すると、覚えられるんです。で、これは全然いける、と思うんだけど、また、イヤ無理と思ってしまう。そういうことの繰り返しなんです。だけど、そんな毎日を続けていると、次にきた台本を完璧に覚えるのに20分かかったのが、今度は5分になってるんですよ。脳は使っていないだけで使えばどんどん動き出すから、限界を決めないということもこの年齢になって自分に課している1つです。

<俳優・中井貴一の人生の転換期とは>人との出会いや経験が人生の角度を変えた
出典: FASHION BOX

【中井貴一インタビュー】年齢を受け止めながらも諦めないことが重要だと思う

――父親に導かれるように、今や中井さんは日本映画界には欠かせない存在となった。しかし、長い間、父親の亡くなった年齢38歳で自分の命も終わるのではないかと本気で考えていたのだという。それも父親の年齢を越えてやっと、ふっきれたそうで、その翌年には結婚もした。そんな中井さんがこれをしてきて本当によかったと思うことは何なのだろう。

一番よかったのは、先輩とばかり遊んでいたこと。ファッションにしてもモノにしても全部先輩から教わりました。俳優のテクニックではなくて生き方だったり人生の考え方だったりを、飯を食いながら、酒を飲みながら、遊びながら教えてくれたんです。それがすごく楽しくてね。先輩は面倒くさいと思う人もいるかもしれないけど、僕はそうは思わなくて、むしろ得する感じがしました。自分が見たことのない世界を歩いている人たちがそれまでどんなふうに歩いてきたのかを話してくれたりすると、自分の進む道しるべにもなるんですよ。その先輩たちには「これは俺のやり方だから俺をなぞるな。おまえはおまえのやり方でやれ」ということも叩き込まれました。

同世代にメッセージを送るとすれば、諦めないことだと思います。今後は高齢社会になっていくと思うけど、僕は実際に自分の人生で一番楽しいのって60代、70代であるべきだと思うんです。僕もやっとその年齢にさしかかっていくので、リミッターを外して諦めないようにすることは一番大事だな、と。だから、これからもいい意味で抗いながらも年を受け入れ、生きていきたいと思っています。

 

中井貴一 Profile

(なかい きいち)
1961年東京都生まれ。1981年に『連合艦隊』で映画デビューし、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞、2003年には『壬生義士伝』で同最優秀主演男優賞を受賞。映画やドラマ・舞台など多数出演する人気俳優。

 

『MonoMaster』3月号の表紙は中井貴一さん

<俳優・中井貴一の人生の転換期とは>人との出会いや経験が人生の角度を変えた
出典: FASHION BOX

181cmの長身、背筋をスッと伸ばし颯爽とスタジオに現れた。時代劇から喜劇まで幅広い役を演じ続ける名俳優は、私たち観客から見て努力や苦労を微塵も感じさせない。しかし、その優美な姿からは想像しにくいが、ひたむきに仕事に向き合う職人気質の方だった。話が年齢のテーマになると、「脳は使えば使うほど動くので、暗記力は誰でも年齢に関係なく上げることができますよ」とにこやかに教えてくれた。どこまでも向上心が高い、中井さんだった。

 

『MonoMaster』4月号 最新情報

発売日:2020年2月25日(火)
表紙:佐藤浩市

巻頭特集:
ジャケット・デニム・スニーカー
この春狙うのは“楽(ラク)”なモノ

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映画『嘘八百 京町ロワイヤル』information

出典: FASHION BOX
© 2020 「嘘八百 京町ロワイヤル」製作委員会
監督/武 正晴
脚本/今井雅子、足立 紳
音楽/富貴晴美
出演/中井貴一、佐々木蔵之介、広末涼子、友近、加藤雅也ほか
2020年 1月31日(金)TOHO シネマズ日比谷ほか全国公開

幻のお宝をめぐり、中井貴一と佐々木蔵之介扮する古物商と陶芸家が広末涼子をマドンナに迎え、恋の火花を散らしながら演技合戦を繰り広げるコメディ。共演には、加藤雅也、竜雷太、友近、森川葵など。今をときめく若手から味のあるベテランまで世代やジャンルを超えた豪華俳優陣が共演し、映画を盛り上げる。

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取材・文/大西展子
撮影/宅間國博
MonoMaster 2020年3月号
WEB編集/FASHION BOX
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