どうも、こんにちは。すっかりコラムの提出期限を忘れており、秘境で催促のメールを見なかったことにして、そっと閉じたヨシダです。
※既に帰国して2週間以上が経過していることは内緒である。担当のFさん、この役にも立たないコラムを楽しみにしてくれていた奇特な読者の皆様、無断で連載すっ飛ばして申し訳ありませんでした。
(FASHION BOX編集部 注:前回の連載第10回「レタッチ方法だって独学でいいんじゃない。」配信後、原稿に手を付けず、ヨシダさんが秘境へ旅立ってしまう事件が発生)
≪目次≫
*こちらの記事は2017年7月30日に初掲載されました
ヨシダナギの日本での過ごし方
今回はヨシダの日本での仕事と過ごし方を少しばかり綴ってみたいと思う。
“ヨシダナギ=アフリカ”というイメージがあるせいか、1年の大半を海外で過ごしていると思われがちなのだが、私が実際に海外で過ごすのは長くとも年に3~4カ月間である。よって、1年の半分以上は日本にいるのだ。
メディアに出ている姿だけを見ていると、「好きな国に好きな人の写真撮りに行って、毎回旅行気分でしょ? しかも、メディアに出たりして華やかな仕事でいいな~」と言われることが多いのだが……バカ言うでねぇ! 華やかなのはごくごく一部であって、普段は極めて地味なのだ。
日頃、時間さえあれば家でSNSやインターネットを駆使しながら各国の少数民族の写真やデータを漁ってファイリング。そのリストを基にロケ予定日の4~5カ月前から現地の旅行会社やコーディネーターと連絡を取り始めるのだが、先方がアフリカや途上国在住の相手だとネット環境や停電などで連絡がスムーズに取れないことも珍しくない。余裕を見て動いていたはずなのにもかかわらず、VISAや撮影許可申請が間に合わなくなってしまってダメになるケースが多々あるのだ。これが、本当に心が折れそうになる。それ故に、渡航前は常に胃がキリキリとし、先方からのメールを見る度にため息を吐く日が続くのである。
海外ロケも私がプレッシャーに強く、人見知りの性格でなければ、もっと純粋に楽しめるのかもしれないが、出発から帰国の日まで常に極限の緊張状態。今は遊びで個人的にアフリカに通っていた頃と違って、限られた短い期間内で少数民族と距離を縮めなくてはならないというミッションの他に、作品を一定数提出しなくてはならないというノルマのある仕事が多い。その上、ロケによっては日本人スタッフさんが同行する。プライベートなら知らない人が横にいても完全スルーをするスキルはあるのだが、さすがにスタッフさんは無視できない。とはいえ、これまで長いこと人との接触を避けてきた私には気の利いた会話なんぞできず、気まずい空気が流れることに耐えなくてはならない(特に私は相槌が下手なので、それが最近のヒドイ悩みである)。それと同時に作品撮影の不安も重なって、渡航中も周期的な嘔吐(えず)きに悩まされることになる。
そんな生きた心地のしない海外ロケから日本に戻って1カ月間くらいは、ずっとPCと睨めっこしながらの写真編集作業である。膨大な数の作品が撮れてしまうと、1カ月では編集作業は終えられないものだが、なんせ私の1回の渡航で出せる作品数はすこぶる少ないので(コストパフォーマンスが極悪)、大体1カ月間程度で編集作業は全て終わってしまう。じゃぁ、編集作業以外の仕事は何をやっているのかというと、講演会の資料作り、イベント出演、取材、執筆作業などである。
とは言え、私は器用なタイプの人間ではなく、同時にいくつもの仕事を捌(さば)くことができないのだ。現状で言うならば、今、まさに私はコラムの納期に迫られ、それと同時に写真の編集作業の納期にも追われている。もうこうなると気持ちばかりが焦ってしまい、結局、なんにも手につかなくなってしまうダメ野郎なのである(こうなると他の仕事も全てストップしてしまう)。
ヨシダの仕事の7割はマネージャーがカバー!?
じゃぁ、どうやってポンコツの私が仕事を捌いているのかというと、私にはキミノというヒゲがトレードマークのマネージャーがいるのだが、ココだけの話、私の仕事の7割をキミノがカバーしているのだ。むしろ、キミノが手を出さない私の仕事といえば、ロケの同行と写真の編集作業のみである。なので、コラムも私が「もう書けねー。もうダメだー間に合わねー」と〆切前に途中で投げだせば、内容をヒアリングしながら私のゴーストとなって120%の文章に書きあげてくれる。しかも、必ずナイスなオチをつけてくれる優秀なヤツなのである。なので、もし、コラムや書籍などで語彙力のないヨシダナギが難しい言葉を使っていたり、オチがバッチリ決まっている部分があるならば、それは間違いなくキミノの所業(しょぎょう)である。
そして、私の性格的に物事を順序だてて考えることや説明することが下手クソなため、メディアや企業との交渉やタイアップ企画の立案、講演会の資料作りもキミノの担当である。取材を受ける際も、人見知りの私は初対面のライターさんやスタッフさんを前にすると突然、顔がこわばり、口数が一気に減るというポンコツぶりを発揮してしまうため、決まって、キミノが私の代わりに素敵な受け答えをするという光景が日々繰り広げられている(実際、その受け答えが達者すぎて、キミノも海外ロケにすべて同行していると勘違いしている方が相当数いると思う。あたかも行っているように話し、実のところ全く行っていないのが俺のアイデン&ティティ。とはキミノの談)。
じゃぁ、結局私は何をやっているのだ? というと、撮影に行って編集作業して、キミノが作る資料やタイアップの企画案などに「あーでもない。こーでもない」とチャチャを入れているだけなのかもしれない。もはや“ヨシダナギ”とは、ヨシダとキミノのデュオといってもいいかもしれない。
ヨシダナギにやってきた、遅めの春
一方、仕事以外のプライベートに目をうつすと、つい1年半前までは私には友人が4人しかいなかった。しかも、そのうちの3人が地方在住のため、私が定期的に気軽に遊べる子は1人しかいない状況だった。 ※何故、友人が地方にいるかというとヒキコモリだった中学生の頃に文通で知り合って意気投合した人たちだから。彼女たちとは年に1回会えたらラッキーなのだ。
友達がなかなか増えないことが幼少期からの悩みだったのだが、この1年で気軽にご飯や遊びに行ける友人が確実に6人も増えた。これはヨシダ史上、奇跡的な快挙である。プライベートはおろか、仕事きっかけで人と仲良くなるなんて有り得ないと思っていたのだが、こんな私と遊んでくれる奇特な人たちがちらほらと出現。そして、ずっと1桁だったLINEの友だち登録数も最近では2桁に増えた(ほぼ仕事関係者と親戚ではあるが。笑)。
さらになんと、つい先日、新しくできた友人たちと海外旅行へ行く約束を取り付けたのである! プライベートで友達と旅行へ行くなんて10年ぶりのため(しかも、新しい友達!)その日は興奮が収まらず、ほぼ眠れなかった。翌日、事務所に寝不足で行ったところ、キミノに「ヨシダさん、ずいぶん遅めの青春を謳歌してますね」と言われる羽目に。そうなのだ。私・ヨシダは今、遅めの春を迎えているのだ。
因(ちな)みに、そんな遅い青春を迎えているヨシダですが、このコラムは次回で最終回を迎えます。
最後は皆様からの質問にお答えして、お別れをしたいと思っておりますので、是非、この機会にヨシダへの質問をお待ちしております。
[連載(2)ヨシダナギのココだけの話]アフリカは「恋人」ではなく「古女房」
[連載(3)ヨシダナギのココだけの話]アフリカでも常に“受け身” ヨシダ流コミュニケーション術
[連載(4)ヨシダナギのココだけの話]ヨシダの一問一答!~カメラから貧乳まで編~
[連載(5)ヨシダナギのココだけの話]アフリカでの膨大な空き時間の過ごし方
[連載(6)ヨシダナギのココだけの話]カメラに興味がないフォトグラファーの撮影方法 ~前編~
[連載(7)ヨシダナギのココだけの話]カメラに興味がないフォトグラファーの撮影方法 ~後編~
[連載(8)ヨシダナギのココだけの話]コウモリも美味かもしれない~“食”への飽くなき探求心~
[連載(9)ヨシダナギのココだけの話]ヨシダの一問一答!~蝶野正洋から植田正冶まで編~
[連載(10)ヨシダナギのココだけの話]レタッチ方法だって独学でいいんじゃない。
ヨシダナギ/Profile
(nagi yoshida)
1986 年生まれ。フォトグラファー。
2009年より単身アフリカへ。以来、独学で写真を学び、アフリカをはじめとする世界中の少数民族を撮影、発表。
唯一無二の色彩と直感的な生き方が評価され、2017年には日経ビジネス誌で「次代を創る100人」、雑誌『Pen』「Penクリエイター・アワード 2017」へ選出。「講談社出版文化賞」写真賞を受賞。
著書に、写真集『SURI COLLECTION』(いろは出版)、写真集『HEROES ヨシダナギBEST作品集』(ライツ社)、紀行本『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』(扶桑社)、エッセイ『ヨシダナギの拾われる力』(CCCメディアハウス)がある。2020年には世界中のドラァグクイーンを被写体とした作品集『DRAGQUEEN ‐No Light, No Queen‐』を発表。
近年は、阿寒湖イコロシアター「ロストカムイ」キービジュアル撮影、山形県「ものづくり」プロモーションのムービーディレクション、タヒチ航空のプロモーションビジュアル撮影など国内外での撮影やディレクションなどを多く手がける。
公式サイト http://nagi-yoshida.com/
Text:ヨシダナギ
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